京つう

旅行・観光  |洛中

新規登録ログインヘルプ


2009年07月05日

アウシュビッツ強制収容所

ポーランド・クラクフからバスで1時間40分ほど。
あのナチス・ドイツのユダヤ人虐殺の収容所・アウシュビッツ強制収容所に日帰りで行ってきました。

アウシュビッツ強制収容所

朝、クラクフのホテルから中央駅へ向かいました。
中央駅の向こうにバスターミナルがあり、そこからバスに乗るためです。
上記の写真は、クラクフ駅の地下通路。ここを越えます。

アウシュビッツ強制収容所

ここがバスターミナルです。

アウシュビッツ強制収容所

バスターミナルには、アウシュビッツ行きのバスがどこにもありません。
「おかしいなぁ〜。有名な所のはずなのに」とウロウロ。
受付のおばさんに聞いてもイマイチ何を言ってるのかよくわからない。
困り果ててガイドブックを改めて見てみると、
アウシュビッツ(Auschwitz)というのはドイツ名であり、
ポーランド語の地名はオシフィエンチム(Oświęcim)。
要は、Oświęcim行きのバスを探さなければならなかったのです。

朝9:30出発のバスを見つけ出し、ようやく出発!

アウシュビッツ強制収容所
バスの窓からの風景。どんよりとした雲が。
そして、雨が降り出しました。重苦しい感じです。

1時間40分後、アウシュビッツ博物館前に到着。
どしゃぶりの雨。とりあえず売店に行き、折り畳みのカサを購入(15zl・約450円)。
あと日本語のパンフレットも(5zl・150円)。
入場料は無料でした。

ポーランド国立オシフィエンチム博物館
第二次世界大戦中にナチス党率いるドイツ政府が国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所。アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコは二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年「負の世界遺産」に認定した。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

施設に入るとシアターがあり、まず記録映画を観ます。

ユダヤ人の人々が悲しげに鉄格子の間を歩く姿。
列車にすし詰めになって押し込まれて行く姿。
施設の中でじっとしている姿。
病的にやせ衰える子供を診察(観察)する医者。
大量の遺品(メガネ・髪の毛......)

背筋がゾッとしました。鳥肌が立ったまま直りません。
この施設で、つい60年か70年前にあった悲劇。
大量の人が平然と殺されていく状況。
なんとも言えない気持ちが押し寄せてくるようでした。

映画鑑賞の後は、施設見学。
表はどしゃぶりの雨。世界遺産だけあって多くの見学者が列を作っています。
団体客が多いです。

アウシュビッツ強制収容所

カサをさしながら、実際の収容棟に行きます。

アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所

施設の廻りには、鉄格子の通路が。
先ほど観た記録映画にも出てきました。
ここを収容される人々が歩いていたのです。

アウシュビッツ強制収容所

収容棟は28棟あり、その一部が博物館として展示物があります。
一部と言っても、15棟ぐらいあり、その一つ一つの塔の展示室が多い!
2階とか地下とかもある!全部見て回るのは凄く大変です。

その展示の内容も凄まじいものでした。
実際の収容された部屋の復元や写真、説明のパネル......
そして、おびただしい数の遺品。
先ほどの記録映画でも観たのですが、実際のモノを観るとまた鳥肌が!

ガラス越しに大量に積まれた髪の毛!
ぞぞぞぞぞっ........。

あまりにも恐ろしくて写真を撮る気も起こりません。

あとガス室、銃殺用の壁、処刑場など
生々しい現場の数々に出るまで鳥肌は収まりませんでした。

アウシュビッツ強制収容所

ここでは、最大2万8千人も収容されていたとか。
そして、ユダヤ人だけでなく、28の民族、150万人の人がここで虐殺されたそうです。

言葉もでません。

地図はこちら



同じカテゴリー(アウシュビッツ)の記事画像
ビルケナウ強制収容所
同じカテゴリー(アウシュビッツ)の記事
 ビルケナウ強制収容所 (2009-07-06 00:00)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。